今年の6月頃の記事です。
怖がりの6歳の娘
2月生まれで、現在小学校1年生の娘。
もともと、どちらかと言うと怖がりの方だったが、最近、前にも増して、怖がりになってきている。
エレベーターが怖い
夜のトイレだけでなく、朝のトイレも怖がったり、この間は、私の両親が住んでいるマンションに行ったときに、エレベーターに乗ることを怖がった。
何が怖いのかと聞くと、
「はさまれたら、こわいでしょう。」
とのこと。
挟まれる?
なんでそんなことを思いついたんだろう・
話を聞くと、『トムとジェリー』のアニメで、エレベーターに挟まれるシーンを見たらしい。
あれは、『アニメ』で『ギャク』というのは、娘もわかっているようなんだけど・・
それはそれとして、怖いものは怖いらしい。
「『トムとジェリー』は、かなり昔の話だし・・。今のエレベーターは、もし挟まれても、ドアは、勝手に開くよ。」
と、言うが、
「もし、あかなかったら?」
と、言い出す。
日本にある今のエレベーターで、体が、挟まったままで、そのまま動くことはまずないと思うよ。
(海外では、事故も聞くけど・・今それを話すわけにもいかないしな~)
それに、そもそも体がエレベーターに挟まれるってどういう状態よ(笑)
もちろん、用心するのはいいことなんだけど、それでエレベーターに乗ること自体を怖がるというのも・・
あまりに怖がるので、私たち以外に誰もいない時に、わざとエレベーターが締まるときに私が腕を出して、エレベーターのドアに当て、エレベーターの扉が開くところ見せて、
「ほら、開くでしょう。ママ、全然痛くないよ。」
と、言うと、面白そうにに笑っていた。
これなら、大丈夫かな、と思っていたんだけど、帰りにエレベーターに乗るときは、また怖がる。
「挟まれても大丈夫だって言ったでしょう。さっき、見せたやん。」
と、言っても、
「それでも、はさまれたらこわいの!」
とのこと。
うーん・・
ちなみに今もショッピングモールなどに行っても、
「エレベーターのらないよね?」
と、聞かれる。
・・・これは、当分、エレベーター怖がるな~
山から落ちる(?)
また、今年の夏に旦那と娘と2人で、富士山に登る計画をしているのだが、今までは乗り気だったのに、急に、
「ふじさん、のぼるのこわいの~」
と、言い出した。
理由を聞くと、
「おちたら、こわいから・・」
とのこと。
「パパが一緒だから大丈夫だよ。それに、今まで登った山より簡単だよ。高いだけで・・」
そういうと、急にクスクス笑いだす。
本気で怖いわけじゃないのかな?
以前、遭難しかけた時(笑)、ロープがある岩場をロープを使わず、手足だけですいすい登っていた。
あっちの方がよっぽど、富士山に登るより、技術的には難しいと思うんだけど・・
富士山は、高度が高いので、体力などはいるが、技術的に難しい山ではないし、ゆえの体力なら、高山病さえ大丈夫なら(あと途中で飽きなければ(笑))十分に登れると思う。
すると、
「ふじさんのぼっても、しなない?」
と、聞く。
え?
なんで?
そういえば、少し前に富士山に冬に登って亡くなった人の話を旦那としたような気がする。
その話を聞かれたのかな?
「大丈夫。富士山に登っても、死なないから。」
山に登って『絶対に大丈夫』ということはないのは、わかってはいるんだけど・・この状態で山での注意を色々言うわけにもいかない。
(いや、もちろん出発前には言うんだけどね。)
「あれは、冬の富士山の話。富士山は、冬は危ない・・というか基本登っちゃダメなんだけど、夏は大丈夫なんだよ。」
「夏は、人がいっぱい登っているから大丈夫。」
と、安心させる。
それにしても、急に怖がりになってどうしたんだろうと思っていた。
後でわかったが、この時、怖がっていたのは、『山から落ちる』ではなく、『死ぬかもしれない』ことだった。
『死』が怖い
先日のこと、『母の友人が亡くなってちょっと母が落ち込んでいる』という話を旦那にしていたら、話を聞いていた娘が、
「なくなるってなに?しぬってこと?」
と、聞いてきた。
「あー、うん。そうだね。」
ゆえが聞いていたので、『死ぬ』というフレーズ、あえて使わなかったんだけど、『亡くなる=死ぬ』ということはわかっていたようだ。
「しんだの?どうしてしんだの?」
と、なんか食いついてくる。
「うーん・・もう年だったしね。ばーばのお友達だから、ママはよく知らないけど・・」
と、言うと、そのまま黙ってしまった。
ご飯を食べている時だったのだが、それからは、何も食べようとしない。
「どうしたの?お腹いっぱい?」
と、聞くと、
「ちがうの・・しんだってきいたから、こわくなっちゃったの・・」
と、言って、急に目に涙を浮かべて・・その後ポロポロと泣き出した。
え?
これは、本当にびっくりした。
「ごめん、ごめん。ママたちが悪かった。」
と言って、抱っこして、落ち着かせた。
「ゆえちゃんも当分死なないし、パパとママも、ゆえちゃんが大人になるまで死なないよ。」
「・・・おとなになったら?」
「ちょっとその先はわからないけど、当分後だよ。」
さすがに『大人になっても死なない』と断言もできないし、この状態で、人はそのうち『必ず死ぬ』ということを教えるのも・・ちょっと無理だ。
中途半端な対応になってしまったけど、とりあえず落ち着いて、泣き止んだので良かった。
それにしても、本当にびっくりした。
6歳4か月で、『死が怖い』と泣き出すとは・・
自分が『死』を意識したとき
私が最初に死を意識したのは、ゆえと同じ小学校1年生だった。
その瞬間は、何故かはっきり覚えている。
道路に停まっている車の窓ガラスに自分の姿が映るのを見て、『そうか。人はみんないつか死ぬんだ』と、ふと頭に浮かんだ。
何故、その時それが頭に浮かんだのかはわからない。
ただ、その瞬間はなぜか覚えている。
とはいえ、その時は、それだけのことで、『人はいつか死ぬ』ということは、わかっていても、『両親が先に死ぬ』とわかっていても、具体的な実感はなかった。
なんとなく『死ぬのはこわいな』と思っていも、深く考えることはなく、『死んだら天国に行く』ぐらいに考えていた。
この頃に、祖父が亡くなったのだが、その時、悲しくて泣きはしたが、『死』を恐怖する、ということはなかった。
私が、はっきりと『死が怖い』と恐怖したのは、もう少し先・・小学校4年ぐらいの時だった。
続きます。