『幼稚園生活終了・・コロナウィルスの影響 その1』の続きです。
本当に単なる愚痴ですみません。
これで終わります。
『卒業遠足』の中止
そして、冬休みの後、始業式の前日に、毎年年長さんは、『卒業遠足』でキッザニアに連れて行ってもらっていたが、こちらも中止。
このあたりになるともはやあきらめの境地に入っていたので、ショックと言うよりやっぱりな、という感じだった。
いつも遊んでいるお友達と、遠足でキッザニアに行けたら楽しかったろうな、とは思ったけど、最初から無理かな、と思っていたのでそれほどショックでもなかった。
あと、中止になるだろう、と思っていたので、娘にも伝えてなかったしね。
お友達から聞いて、『キッザニアにいくはずだったの? 』と聞いてはきたけど・・
卒園式
卒園式は、あっただけ感謝している。
でも、やっぱり『おもいでのアルバム』は卒園式で聞きたかったな~
本当にそれだけのことなんだけど・・
『おもいでのアルバム』は、練習していたと聞いていたし、CDにも子供たちが歌っている『おもいでのアルバム』が録音されている。
歌の練習も実際にしているし、CDに録音するときも当然みんなで歌っている。
だったら、卒園式も同じクラスのメンバーだけだし・・卒園式の中で歌っても一緒だったんじゃないかと思うんだけど・・
やっぱり、卒園式で聞きたかったな~
なんとなく不完全燃焼なんだよね(笑)
これは、まあ私の気持ちだけの問題なんで、どうでもいいといえばどうでもいい。
一番ショックだったこと
そして、一番ショックだったこと。
年長の幼稚園が始まってから、ずっとそうだったらしいが、私は全く気が付いていなかった。
娘が、幼稚園から帰ってきて、『お友達と遊びたい』と、言い出すことはよくあった。
遊べないときには、
「さっきまで幼稚園で遊んでいたでしょう。 」
「あそんでないもん。 」
と言う会話をよくしていたんだけど、私は『あそんでない』というのは、『自分が満足するほど遊んでいない』という意味だと思っていた。
年中の時から、そういう言い方をしていたし、一緒に遊んだ直後ですら、『そんなにあそんでない!』という言い方をしていたので・・
ところがある日、夕食を食べながら、
「きょうは、ゆみちゃんとぜんぜんあそべなかった。 」
と、言い出した。
この日は、確かに幼稚園から帰ってからは、ゆみちゃんとは遊んでいない日だった。
「バスの席も横だし、幼稚園でも遊んでいたんじゃないの? 」
「バスは、おはなししたら、おこられるし、ようちえんでもあそんでないよ。 」
「バスが幼稚園についてから、朝の会が始まるまでは、自由時間でしょう? その時に遊んでいるんじゃないの? 」
と、聞いた。
娘たちは一番バスなので、幼稚園には8時に着く。
そこから、朝の会が始まる10時までは自由時間のはずなんだけど・・
すると、
「あそんでないよ。 つくえからうごいたらダメだもん。 」
え?
どういうこと?
年中までは、ブロックやおままごと道具などで、自由に遊んでいたはずだ。
年少や年中の時に送っていったことが何度かあるが、教室の中を見ると、みんな自由に遊んでいたし、ゆえからも『おままごとした』などと聞いていた。
ただ、年長になってからは、感染対策で、玄関口より先には絶対に入れてもらえなくなったので、玄関口で先生に引き渡していた。
「それは、朝の会の後じゃないの? 」
「ちがう! ずっとそうなの! 」
え? なんで?
「コロナだから、つくえのまえにすわってないとダメっていわれる。 」
「え? じゃあ、朝の会まで何してるの? 」
「えをかいてるか、おりがみしてる。 マジックとりにいったり、おりがみをもらいにいくときだけたってあるいていいの。 」
「じゃあ、幼稚園に行ってから、朝の会までは、おりがみとか絵を描くだけなの? ほかには? お友達とは遊べないの?」
「あそべない。あと、ラキューはいいって。 だいくんは、いつもラキューしてるよ。 」
・・・・・
これは本当にびっくりした。
幼稚園で遊ぶ時って、床に座り込んだり、走り回って遊んでいる、というイメージがあったし・・実際年中の時、教室を見に行ったときはそんな感じだった。
朝の時間は、てっきりお友達と遊んでいるものだと思っていたのに・・
ずっと椅子に座ってるの?
まさかそんなことになっているとは・・
これを娘から聞いたのは、秋ごろだったと思う。
全く気付かなかった、と言いたいところだが・・実はヒントはあった。
年長になり、緊急事態宣言が終わって、幼稚園に通いだしてから、ゆえは、
「おままごとができない。 つまんない。 」
と口にしたことが何度かあった。
「おままごとどうぐ、なくなっちゃった。」
とも聞いたが、これが年長になったからなのか、感染対策でなくなったのかはわからなかった。
わざわざ幼稚園に電話して聞く、というわけにもいかなかったし・・
そして、『ブロック』はないけど、『ラキュー』では遊んでいる、という話も聞いていた。(年少年中の時は両方あった)
その時は、他のママ友たちと、
「ブロックとかおままごと道具は消毒しにくいから、無くしたのかな~」
「ラキューだと小さいからまとめて洗えそうだし、だからラキューはいいのかな?」
なんてのんきに話していたが・・
あくまで『自分の机の上でできること』ということで、ラキューはOKだったのか、と今になるとしっくりくる。
ラキューもブロックも大して変わらないと思っていたんだけど・・
「ゆみちゃんやえみちゃんとぜんぜんあそべてない。」
と言うことは今までにもあったんだけど・・自分の机から離れたらダメだから遊べなかったんだとは思っていなかった。
この事実は、行事がなくなることよりショックだったかもしれない。
てっきり幼稚園では、お友達と楽しく遊んでいると思っていたのに・・
なんていうか、貴重な幼稚園時代の時間が奪われたような気がした。
感染対策で仕方がないと頭ではわかっているんだけど・・
なんか本当に・・この1年、子供たちが可哀そうだったと思う。
幼稚園や先生たちは、感染対策ギリギリの中で、本当によくやってくれたと思っている。
6月以降は、休園にもならず、給食も食べれて、娘も楽しく幼稚園に通って・・それ以上は贅沢だと頭ではわかっている。
休園よりはよっぽどいい。
だけど・・お友達とじゃれあって遊ぶ時間が全くなかったなんて・・
お友達とのコミュニケーションも遊びながらたくさん学ぶ時期なのに・・
贅沢な愚痴だとはわかってはいるんだけど・・
我が家は、旦那の仕事も幸い、コロナウィルスの影響は受けず、緊急事態宣言中も普通に仕事があり、普通に会社に通勤していた。
車通勤ということもあり、コロナウィスルの影響は、ほぼ受けておらず、コロナ過の中でも生活には不安はなかった。
もっと大変な人がいっぱいいて、生活が不安になっている方も多いし、我慢している人も本当に全国にいっぱいいる。
それに比べると、幼稚園での経験というのは、娘たちが大きくなっても覚えているかいないかわからないぐらいのことだし、『このぐらいのこと』に入るレベルだとはわかってる。
わかってはいても、どうしても吐き出したくて書いてしまいました。
幼稚園の頃の体験というのは、たとえ記憶に残らなくても、目を輝かせて遊んだり、みんなで何かをしたり、というキラキラした経験というのは、この先の・・心の成長に必要な何かになっているんじゃないかと私は思っている。
誰が悪いというわけではない。(一部の政治家は除く)
私だって、色々な経験はさせてあげたけど、娘を感染させたくない。
幼稚園はギリギリのところで頑張ってくれたと思う。
とても感謝している。
だけど、それでも、最後の1年間で、『幼稚園生活、楽しかった! 』と純粋には思えなくなってしまった。
幼稚園時代の宝物のような時間が、最後の1年は奪われたような気がしてしまった。
これからは、小学生。
小学校でもしばらくは感染対策が続くだろう。
少しでも早くワクチン接種が進み、コロナウィルスがおさまりますように。
吐き出したので、少しだけすっきりしました(笑)
長々と、愚痴ですみませんでした。